2014年11月21日金曜日

【習作】猫や



【タイトル:猫や】
【文字数:1392字】




credit: Mr.NG via FindCC


猫がいる。
いや、正確には猫じゃないかもしれない。

最初に気づいたのは太郎だった。「パパ、なんか変な声がきこえる」と怯えながら俺に訴えてきた。


耳をたててみると、住んでいる借家の、庭に出る裏口側の縁の下方向からたしかになにかの鳴き声がきこえる。
これがまたひどい声だった。季節はもう10月も過ぎる頃だというのに、ぶにゃあ、ゔにゃあと発情期みたいな声を上げている。
「猫って秋にも発情するのか?」俺が訊くと、
「そんなの知らないわよ。でも猫だったら飼いたいわねえ」
「ぼくも猫、飼いたいー」
なんてかみさんと太郎はのほほんとこたえた。
あのなあ。
そういって世話するのは結局いつも俺になるじゃないか。カマキリだってカブトムシだって夜店の金魚だって。

さいしょは「飼いたいわー」なんて言ってたかみさんも太郎も、朝晩けたたましい声が二週間ちかく続けばさすがに辟易してきたらしい。
「もうなんとか追っ払ってよ、気味がわるいわ」かみさんがせっつく。
「だから言ったじゃんか、野良は厄介なんだよ」俺は反論しながらしぶしぶと、奴の声のする裏口へとまわる。

最初は「こら!」と声を上げて床をドンと踏み込めば、ぎにゃっと言ってそれきり声をひそめる奥ゆかしさがあった。けれどもそれも3,4日のこと。

「おい!」ドン!
「にゃー!」

「こら!」ドン!
「にゃー!」

「出てけ!」ドン!
「にゃー!」

今じゃ息をひそめるどころか合いの手を入れてきやがる。この野郎。



そのうちに、奴は昼夜を問わずひっきりなしに声を上げるようになった。
その代わりあれだけ喧しかった鳴き声がだんだんとかすれとぎれがちになった。
怪我でもしてるのか。それとも出産とか。

「おーいどうした。どっか悪いのか」俺は裏口から鳴き声のするほうへ呼びかけた。
耳が聴こえていないのかもう俺の声に反応することもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。

ーーもしかして、終の棲家に選んだのかよ、勘弁してくれ。
俺には奴がどこにいるのかもわからない。古い家なので縁の下の空間は無限にひろがって居る。かすれた声が俺の中に積もる。

数日して、やがて声はきこえなくなった。
かみさんと太郎は奴のことなんかすっかり忘れて、妖怪ウォッチがほしいよお、とか言ってる。
俺は俺で、死んだか、産まれたか、番とどっかいいったかかな。いちばん最後のやつだといいけど。なんてふと思い出したりして、でもそれっきりだった。



秋の最後のからっ風、みたいな朝だった。
玄関の鍵を開けて新聞受けから朝刊を引っこ抜き、スウエット姿のままつっかけサンダルで外に出た。もう寒いっちゃ寒いけど、今年は雪がおそいかもな、みたいなことをぼんやりひとりごちながら、俺はタバコに火をつけ肺いっぱいに冷たい空気と煙を吸い込んだ。
と、公道へとつづく前庭の真ん中にひとつ、見慣れないちんまりとしたものが落ちていた。山吹やえんじ色の枯れ葉にまじって、ごみよりは少し存在感のある、黒っぽい。なんだ?俺は腰をかがめてそのちんまりに近寄った。

ねずみの死骸だった。


うへえ。今までこんなことなかったのに、なんだってこんな、と思った次の瞬間、俺は、あ、と声に出した。


そういえば。もしかして。あいつ? 


いやまさか。死んだのかもわからないし。
もし生きてたとしても、単に食い散らかした死骸を置いてったのかもしれないし。
そもそも猫かすらもわからなかったし。
恩義とか?宿の礼とか?いやいや考えすぎだって俺。いやー。

いやー、いやー、といいながら、俺はそのちんまりをちりとりに箒で乗せるとしばらく、庭でたちどまっていた。
今年はもうちょっと、雪がおそいかも、などとひとりごちつつ。













2014年11月18日火曜日

【習作】深海魚たち


【タイトル】深海魚たち
【文字数】1087字

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ーー深海魚、知ってる? エソとか。
夜中のアパートの玄関先でする話じゃないって? 
まあ聞けよ。

深海魚の種類でさ、雄とか雌とかあんま決まってないのがいるんだって。

相手と出逢ったら、どっちが雄でも雌でも子孫を残せるように、そんなシステムらしい。

深くて広くて暗い海の底で、同種と遭遇する確率がすごく低いから。

そういう種類の中には、相手が見つかったら、もう離れないようにそのまま相手の身体にくっついて吸収されちゃって、自分がなくなっちゃう奴もいる。

もうちょい浮上して相手見つけたらって思うんだけど、まあ臆病なんだろうな。

そうやって、一生出逢えないかもわからない相手を、暗い海の底でひとりで待ってる。





ーー俺さ、

俺さ、お前にとってずっといい友だちのままでいる自信あったんだよ。

頭の中で何べんも何べんも繰り返し練習したんだ。

大学出て、社会人になって、

お前がいつか彼女を俺の前に連れてきたとき笑って挨拶するシーンとか、

お前の結婚式で友人代表でおめでとうってスピーチするシーンとか、

お前と嫁さんの間に子供が生まれて、その子に「おじちゃんからだよ」ってお年玉渡すシーンとか。



完璧に演じられると思った。墓まで持っていけるぜって。

どういう形でも良かったんだよ。お前のそばにいられるんだったら。

お前が俺から離れていかないなら。


だからなんであの時お前の手を握っちゃったのか、自分でもわからなかった。

お前が泣いてたからかもしれない。



お前がさっと手を引いた瞬間に、あー終わったなって思った。


今までこんなに慎重に積みあげてきたのに、たった一瞬でぜんぶ失っちゃうんだなって。

酒のせいだったって言えばよかった。
でも言えなかった。

お前に申し訳ないって思う以上に、俺しか知らない俺の気持ちを、嘘だって言葉にしてしまえば、俺があんまり可哀想だって思った。



ごめんな。





携帯に電話しても出ないし大学でも遭わないし、ああこのまま終わるんだなって思った。

もうこのまま顔をあわせることもなく卒業して、

お前の中では俺なんか最初から出逢ってすらいなかったことになってて、

俺は、少しずつ壊死してくみたいに、あのときのお前の掌の温度だけをたまに思い出しながら生きてくんだろうなって。







だから、







だから、お前が、なんで今ここにいるのかわからない。

こんな時間にひでぇ顔で泣きながら俺のアパート訪ねてきてるのかわからない。

うるせえ寒いから中でコーヒー飲ませろってぐしゃぐしゃの顔で俺のこと罵倒してるのかわからない。


とりあえず俺もさみぃしコーヒーは淹れるけど、俺も今お前以上に顔ぐしゃぐしゃな自信あるから、


灯り点けるのは、もうちょっとだけ勘弁してくれ。



















2014年11月1日土曜日

【習作】海つ神

【題:海つ神】
【文字数:1976字】


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「とうさん、なんでうちには墓が2つあるの」

墓参りの帰り道、手にもつバケツの中の水をちゃぷちゃぷと揺らしながら宏太が聞いた。
宏太に歩幅をあわせていた父は、しばらくうつむいてのち、口をひらいた。
「そうさなあ」
父は左手に広がる穏やかな盆の海に目をやった。
「あれは、無縁仏ととうさんの弟の墓なんだ」
そういって父は、無縁仏にまつわる家のこと、そして自分の弟のことについてぽつぽつと話をはじめた。



Is that how the gods do it?


勇蔵という漁師の手繰り網に、無縁仏がかかった。
この村でいう無縁仏というのは、身投げや海難事故などで亡くなった遺体が網にかかってくるものだった。
勇蔵はいそいで網から遺体を外そうとした。
網を外していくうち勇蔵がおどろいたことには、上のからだは人間の男のものであったが、下は人のそれとは違うものだった。
太刀魚のようにひょろんとしたものが腰から下にくっついていた。

男にはまだ息があった。臓腑が抉れていた。鮫か何かの仕業だろうか。勇蔵は思った。


男はきれぎれの声で勇蔵にいった。どうか俺を海のみえるところへ葬ってくれ。
勇蔵がわかった、わかったというと、男は自分の右の目玉をくりぬいて勇蔵にわたした。
勇蔵の掌に乗ると目玉はにぶく七色に光をうつす石になり、ころんと転がった。

勇蔵は約束どおりに男のなきがらを海の見えるところへ埋め、無縁仏として供養した。

その年から数年間、勇蔵の出す船はかけるたびかけるたび漁があった。
勇蔵はあの亡骸のおかげだと、男からもらった七色の石を神棚に祀った。


やがて勇蔵に2人の子ができた。
上の子を正晴、下の子を青治といった。
正晴が8つ、青治が5つのときのことだった。青治が高熱を出した。
40度近くの熱が1週間続いたころ、家族の誰もがこれまでかと覚悟した。

正晴は仏壇に祈った。神棚にすがった。
神様、仏様。どうか青治を、弟を助けてください。
俺のたったひとりの弟なんです。

そのとき神棚にあった七色の玉がぱりんと割れた。正晴が見るとそれは光を失いただの石になった。
翌日青治はけろりと熱が治った。
家族のものはみな奇跡だ奇跡だと涙を流して喜んだ。


それから6年がたった。
正晴は、父の勇蔵の船仕事を手伝えるほどにたくましく精悍に育っていた。
青治は兄とは対のように線が細く、色が白く、顔つきも時おり女の子とまちがわれるほどつるりとしていた。

そのころから、青治におかしなことがおこるようになった。
小学校の同級生は「青治が座ったあとの椅子に鱗が落ちている」といった。
蚊帳の中で布団を並べて正晴といっしょに寝ていたはずなのに、なぜか青治の布団だけが豪雨に降られたかのようにびっしょりと濡れていた。
かと思えば青治の入ったあとの風呂がすっかり干上がっていた。
兄弟で素潜りに行き、向こうの浦で青治が何やらしていると思ってこっそり正晴が近づくと、青治は生魚を頭からばりばりと喰らっていた。

青治を村の子供は気味悪がるようになった。
ある日のことだった。
村の悪餓鬼が取り巻きをつれて青治をとりかこんだ。
「化け物じゃないなら皆の前で裸になれ」とせせら笑った。
青治は服を脱ぐ代わりに悪餓鬼に飛びかかり、耳に歯を立てるとそのまま噛みきろうとした。
悪餓鬼の悲鳴を聞いて通りかかった正晴が、いそいで二人を引き剥がした。
青治は正晴の腕へ噛みついたところではっと我にかえった。
「兄ちゃん」
兄は腕の骨が折れ、悪餓鬼の耳は半分近くまで顔から離れていた。


ある夜のことだった。
叢雲に隠れる月がほんの気まぐれに顔を見せ、むしあつい寝床の蚊帳の中を照らした。
正晴は、となりの布団で寝ていたはずの弟の姿がないことに気づいた。
ざわつく胸をおさえて正晴は、家を出て角を曲がり、浦へ浦へと走った。

小型の船が出入りする浦の入江につくと、青治の後ろ姿がみえた。
夜を映して重油のようになめらかな波の中に、とぷ、とぷと歩いていくところだった。

「青治、いくな、青治」

正晴が声を上げてざぶざぶと海の中へ入ると、青治はうつろに顔をこちらへ向けた。

「くるな、兄ちゃん」

「人の世はたのしかった。お前の弟であることはよろこばしかった」

そういうと青治は、あたまから一気にとぷん、と波の中へ入った。

それきり青治があがってくることはなかった。





「その青治さんて人、どうなったの。死んだの」

宏太が父を見上げていった。
「わからない。すぐに大人も警察も呼んで、探してもらったけど、結局どこにも見つからなかった」
父がこたえた。
「それからしばらくして、じいちゃんと俺が船に乗って、時化に船が流されたことがある」
「でも急に海が凪いで、俺たちは助かったんだ。あれはきっと青治かな」
「でもなあ」
「俺は青治が何者でも、どんな姿でもよかったのになあ」

宏太はそういいながら父がゆっくりとさすっている腕に目をやった。
鱗のようにてんてんと紅い歯型が残るそこに、撫でるように潮風がとおった。